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1998.08.16作成
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[悲惨で奇妙な体験談]
『真夏の御在所岳』
始めに
日本最大の湖、琵琶湖と伊勢湾の間にほぼ南北に走っている山並がある。
これが鈴鹿山脈であり、山脈と呼ぶにはやや小ぶりすぎるが、この鈴鹿山脈の中央部に位置し、唯一最高峰を誇るのが御在所岳(1210m)である。
麓には湯の山温泉があり、この温泉街より頂上までロープウェー(18分)が通じ、いわば俗化した山になっている。
ピークに達するには表、中、裏登山道と3本の登山道があり、いずれも年間を通じて楽しめる山だ。
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1974年7月20日土曜日、この週は緊急の勤務体制にて前日の22:00〜翌朝の6:00という、
深夜勤務を一週間続けた上がりの日だった。
20日は二十歳の誕生日でもあり、以前よりデートの約束も組まれていたのだが、二十歳の
記念ということもあり、どうしても山へ足を向けたくて仕方なかった。
前日の19日は御在所岳の地図を広げコースを見つめながら、受話器に向かってキャンセル
するための口実を探していたが、結局お定まりの言葉しか見つからず
『山に行くことにしたから、ゴメン・・・』
で受話器をおろしていた。
今から考えると一つ目の間違いが既に潜んでいたのかも知れない。
20日仕事を終え、山服に身支度を整えて晴れ渡った夏空の下、そのまま電車へと飛び乗った。
目的地までの約2時間の道のりは、久々の山行と二十歳の記念というつまらぬ感傷が足を引っ
張り、車窓から見える何の変哲もない山姿に興奮を感じ得なかった。
このとき忍び寄ってきた二つ目の間違いも、若さの陰に隠れてしまい気が付かぬまま地図に目
をやり、ひたすらコースから見える地形の様子を思い浮かべていた。
いつしかホームに立つ後ろを、発車のベルにせかされた列車が過ぎ去って行った。
8時とはいえ、雲一つなくスカッと抜けるような青い空に、はやる心を押さえながら頭の中では
コースタイムの確認をしていた。
今回は短時間コースの中登山道を選んだため、ここより50分で登山道入り口、それから1時間40分
でピーク。
そのまま縦走路に出て快適な尾根歩き、鎌ヶ岳(1161m)までピストンで2時間、後は下っても良し
ビバークしても良し。
戻れば昨夜の電話の件もあるし、などと考えながら乾いたアスファルトの上を進んでいた。
まだまだ日影になったアスファルト、快適に足が進んでいる。どこの山へ登るにしてもこのアスファ
ルトのアプローチさへ短ければ楽しい山旅になるんだが・・・。
中登山道、登り口でもあり最後の給水所に到着。
ここまで約40分と予定より少し短いタイムに満足しながら、これからの登りに備え山靴のひもを締め
直した。
ザックに入ったポリタンクは空、登り約2時間としても出来るだけ空荷で登り、上で補給しよう。
三つ目の間違いが鎌首をもたげていたのも気付かず、ポケットから取り出した手帳にコースタイムを
書き込んでいた。
気温はどんどん上昇し、蒸し暑い暑さじゃなく、乾燥してチリチリと焼け付くような暑さになってきた。
この中道は3コースの中では一番短時間で尾根通しを登るコース、途中ロープウェーが真上をかすめる
形で通過するが、唯一登山者とロープウェーの乗客が間近で顔を突き合わすことの出来るコースでもある。
子供の頃は乗客の立場で真下を歩く登山者に手を振り、登ってみたいと思った山でもあった。
それにこの尾根通しは風の通り道でもあり、冬ならば凍り付いた斜面でのスリップ事故もあるが、この
時期そよぐ風に後押しされ快適な登りが約束されたようなものだ。
枝尾根への登りにかかってきつい急登が続く。
息の乱れを感じながら、そして背中には焼け付くような日差しが容赦なく照りつける。山シャツの袖を
まくり上げた両肘がまるでフライパンの上で焦がされている感じだ。
快調に登りだして約50分、異変が現れてきた。
『汗が出てない』
いつもなら汗が噴き出して乾燥しながら塩に変わる、そして皮膚表面は絶えず湿っているのだが・・。
・・・・・いつもと違う。
塩は付着しているが肌自体は汗をかいてない、サラサラした状態だ。
こんな焼け付く状態では汗の出方も変わってくるのか?
・・・・そんなことを考えながら歩いていると極端なペースダウンに気付き、呼吸の荒さだけが気に
なりだした。
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ここで1本取ろう(休憩の表現)。
ドカッと腰を下ろし、ザックを肩から外す。
ザックの背当てには異様なほどの乾いた汗ジミがあった。
ロープウェイとの交差地点はここから見える。
風の通り道のはず、だけど風が吹いてくれない。
キャンディーを一個口に入れる。しかし甘さはまるで感じない。
口の中がカラカラで唾も出てこない。
キャンディーだけがコロコロと口の中で転がっている。
しばらくすると呼吸ももどり、そして楽になった。
少しでも体から水分放出を防ぐためにまくり上げた袖を下ろす、そしてザックを担ぎ歩き出すことにした。
やはりペースは遅い、まるで左右の足が出るのを拒んでいるように一歩、また一歩、やっと足が出てる感じだ。
既に脳からの指令は拒否されつつあるかのように・・・。
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このころより10mが8mに6mに歩いては止まり、止まっては歩きだすを繰り返していた。
次第に歩行距離も短くなり、やたらと腰を下ろす時間が増えた。
ロープウェーからこちらが見えるポイント、そんな所ではこんな歩きは出来ない。
こんな状態でも見栄だけは残っていた。
『まだまだいける』
何の保証もない言葉だけが口から飛び出し、元気づけようとするが体が聞き入れてくれない。
ロープウェーの真下に着いた。
あたかも今着いたようなそぶりで、出もしない汗を拭き腰を下ろして、出来る限りにこやかに
ロープウェーの乗客に応える。
上りの一台が通り過ぎ、この先ですれ違う下りの一台がまもなくやってくる。
・・・ここで倒れていたら見付かりやすいなぁ・・・そんな馬鹿な考えが少しよぎった。
下りの一台が通り過ぎた。中の乗客は相変わらず手を振ってくれる。
この次にやってくるまで18分間ある。
この間にロープウェーの視界から脱出したい。
歩幅も30cm切る程度しかなく、少しでも遠くへ、少しでも視界から・・・
その思いだけで体を前に引き上げる。
ロープウェーの視界から遠ざかった地点でザックを下ろす。
時間は12:00予定では縦走路に入っているはず。
ザックの中から水分の補給できそうなものを探す。
よりによって何も無い。
太陽は頂点に達し、容赦ない熱線をそそいでくる。
探った手が止まり引き上げてみると「サバの煮込み」の缶詰があった。
それは昨夜勤務前に買い足した今夜の夕食用のだった。
このサバ煮込みの缶詰だけは山行に欠かすことができない。
別に好物と言うわけでもないが、お湯だけで膨らせたα米(アルファ米)に掛けても良し、一緒に
煮込んでも良しの優れ物だ。
少し塩加減が強いが、水を少し多めに入れると程よく食べれる。
そんな手軽さから好きにさせられたのかも知れない。
缶切りでふたを開けた、油の混ざった出し汁が見えた。
思わず口に流し込んだ途端、喉の奥が焼け付く感じを覚えた。
我慢して飲み込んだすぐ後、物言えぬ苦しさと共に吐き出してしまった。
おまけに胃液までもが・・・・・、口の中のイガラサが少しだけ口に湿り気を与えてくれたが、
それも我慢の限度を超えていた。
首に絡めたタオルで口の中を拭きイガラサを取り除く事しか頭になかった。
お陰で意識はハッキリしていることは確認できたが、逆に熱射病にかかりつつある自分を感じて
しまった。
なぜ水を補給しなかったのか?
なぜ到着まで寝なかったのか?
そして、電話でキャンセルさえしなければ・・・・
しかし、水と寝不足は初歩的なミスだった。
後の祭りとは解っていてもこの急場をやり過ごす手だてが見付からない。
唾も無く舌はカサカサした感じで何処からも汗が出ない。
当然ながらオシッコの一滴も出なかった。
吹き出すのは塩のみ・・・いや、細かな塩だと思う。
ザックをまとめ直し、歩き出す事にした。
目もカラカラに乾いている感じがする。
『目標はそこに見える小石まで行こう。そうすれば休ませてやる。』
そして・・・・・
『よくやった、次はあの石までがんばれ、そこで休憩だ。』
こんな言葉で自分をごまかし、途方もない長い時間が過ぎていった。
何百回と目標を決め、情けないほど自分を励まし、この道を歩けば必ず上にたどり着く。
まだ意識はある・・・・と、思う。
先ほどより頭が割れそうに痛い。
日射病だとも思う。
だけど日陰なんてここには無いし、もしあったとしたら・・
そのまま日陰に座り込んで眠ってしまうに違いないと思った。
湿り気を失った喉は声すらかすれだしてきた。
『あの電柱の根本まで行ったら、休もう』
『電柱・・・・・・・』
『助かった・・・』
今までの目標が自然物だったのに人工物に変わった。
『もう少しだ・・・・』
これが途方もなく長く感じた。
ぐったりした状態で電柱にもたれかけ前を見た。
数十m先に喫茶店らしきものが見える。
見ていると不思議なもので、徐々に力が湧き出してくるのを感じた。
足がまっすぐに向かって、まるで体が後から着いていくような感じがする。
水が飲める、水が飲みたい、そんな思いで戸を開けた。
『アイス・こーひー・・・・・一つ』
既に出されたコップの水は飲み干した後だった。
コーヒーなんてどうでも良かったんだが、水を飲みたさにコーヒーを注文したのは、後にも
先にもこのときだけだろう。
『後一時間したら閉めますから、それまでゆっくりして下さい。』
時計は三時を少しまわっていた。
二時間弱の所を六時間も掛かった。
着いて良かったが、アホなミスしたばっかりにとんでもないことになった。
頭の痛みは薬で取れるが、この記録は一生自分の中で残るだろう。
今まで空だったポリタンクに水を入れてもらい、体の隅々まで水分がいきわたるまでじっと
待った。
マスターが店を閉めるのを待って一緒に歩き出した。
『私が下ればここには貴方だけになりますよ。一緒に下りますか?』
『せっかく来たんだからここで泊まります。』
『今夜は天気もいいし、星空がきれいでしょうね。』
『そうあってほしいですね。』
『それじゃ!気を付けて』
『ありがとうございます。』
マスターはそのままロープウェイに向かって歩き出した。
今夜の宿はこのベンチにしよう。
壁こそ無いが、しっかりした鉄板の屋根がありベンチもある。ちょっとしたと言うより立派
な展望所だ。
山靴のヒモを緩めながら、つまらない事故を引き起こしそうになった自分を反省した。
そしてまだ明るい空に向かって今日始めて吸うタバコの煙を吐いた。
その煙は空の青さにとけ込むように吸い込まれていった。
マスターと一緒に下山しなかったのが、四つ目の間違いになろうとは、この時点で知る由も
なかった。
これから五時間ほど先にやってくる、恐ろしい状況を予測するには、まだまだ山の経験も浅く、
未だ晴れ渡った空に予測すら出来ず、その空に向かって二度目の煙を吐き出した。
あれからどのくらい時間がたったのだろうか、日も暮れいつしかあたりも暗くなり始めている。
ベンチの上に夏用シュラフを広げ、いつでも潜り込めるようにと準備だけは始めた。
数々のミスを犯し、未だ口にすることさえはばかられている自分に、どうしようもない虚脱感
だけが襲い始めていた。
胃の内容物も無く、空腹感は有ってもそれを満たすだけの食欲は存在してなかった。
形だけでもと思い、クッキーを一枚口に入れる。
ぱさついた感じが口に残り、昼間の出来事が思い出された。あわててポリタン(ポリタンク)の水を
流し込む。
スーッと胃の中に吸い込まれる感じと共に、あの苦しさも流れ落ちていった。
いつもなら角瓶を取り出してとなるんだろうが、しばらくはタバコの火を眺めることに時間を
費やしたかった。
今は薄暗くなった空に星も顔を出し、これから始まる快適な夜を約束された思いがしてきた。
手帳と呼ぶにはほど遠い代物を取り出し、ヘッドランプの手元明かりを頼りに簡単な記録をまと
め始めだした。
しばらくしてペンの動きがいつしか妙な動きに変わり、同じところで行き来し始めた頃には、
体全体が大きく前に傾きだしていた。
シュラフに潜り込めと言うサインを感じながら、抵抗しつつも効果は薄くそのまま潜り込むこと
になってしまった。
最初に目覚めたのは8:30だった。
体の重さとは別に頭の中だけはしっかりしていた。頬に感じるごく細かな水滴から、ガスの出て
きたことを知りザックより折り畳み傘を取り出して広げた。
頭をすっぽり覆う形で、傘の柄はシュラフの中で押さえていた。ガスには何の効果も無いことを
知っていながら、考えて見ればおかしな話である。
しばらくはこのままで寝よう。
雨が降っても屋根もあるし、ひどい状態にはならないだろう。そんなことを考えながら眠気に負け
る自分を感じていた。
眠ってるはずの周りでやけに騒がしい音がし始めた。
風の音に混じっての鈍い金属音、それは今までの記憶に存在しないものだった。
目を閉じているにもかかわらず、閃光が走り抜けた。まるでカメラのフラッシュを浴びたように
一瞬の出来事だったが、次の閃光に出会えるのにさほど時間を必要としなかった。
ただ、この正体を考える時間は十分与えてもらっていても、なかなかそこにたどり着けなかった。
「カミナリ」
・・・まさか・・・、音がない・・・・
何度とないまばゆい閃光と、不規則で幾分長めに聞こえる鈍い金属音、正体の解らないまま目
を閉じ続けることはとても不安なものだった。
風も感じるし音も鮮明に聞こえる。夢では無いと確信したものの、目を開けるには幾分の勇気を
必要とした。
カット見開いた目に飛び込んできたものは、立ちこめたガスの中に薄ぼんやり、時に強く光る青
白い光の帯だった。
時々横殴りの風に雨粒が吹き吹き付けてくる。
この場の状況を把握するのには材料が乏しすぎた。
鉄柱が光り、そしてザックの金属部分やサイドに吊したカップが、風で飛ばされたのだろうか傘
のメッキ部分が青白い光と共に浮かび上がって見える。
ただ、鈍い音の正体ははっきりしない。屋根全体から聞こえるし、あちこちから聞こえるような
気がする。
そしてほんの一瞬、あたり全体が昼間の明るさになるくらいのまばゆい光。
シュラフの中で体をよじると小さなパチパチ音がする。
まるで化繊のセータを脱ぐとき見たいに・・・・、ここまで来るとその正体は明らかになった。
「静電気」だ・・。
ただ、少ない知識の中で思い浮かぶのは「カミナリ」しか無かった。だけど音が聞こえない。
「もしかして雷雲の中・・・まさか、」
そう考えたいが、まるで経験がない。
何故か「やばい」の言葉だけが浮かんだが、そこから先の対処方法がわからない。
見えてこない。
とりあえずザックから遠ざかるのと、体から金属物を外すことだけだった。
シュラフの中で腕時計を外し、ヘッドランプでかざして見た、9時を少し過ぎていた。
そして少し考えた・・。
このまま外に出した瞬間、誘電されないだろうか、さっきから体の産毛が総立ちになっている
ことは気づいていた。
気休めだろうがポケットに有ったナイロン袋に時計を入れ、それを手のひらで覆うようにして
ベンチの下に落とした。
後は少しでも遠くへ・・・、仰向けの状態で膝をくの時に曲げ、状態を伸ばすまるで赤い大きな
芋虫のように、少しでも遠くへ・・。
ベンチとベンチの隙間を越えて、それでも7m程度しか離れていない。
ここは横殴りの雨、ただ面白いことに気が付いた。
風も雨も方向性がある物だと思っていたが、この雲の中はそうじゃないみたいだ。
同時に2方向から吹き込んでくるところなど、真ん中で雨粒がぶつかり合ったり、ベンチの下か
ら雨が吹き上げたりする。
下界では考えられない、また見ることの出来ない世界だ。
相変わらず青白い光は残っている。
そして鈍い金属音・・、ただ、少し音が小さく聞こえるが、あまりにも風雨が酷く、かき消され
たようにも思える。
赤いシュラフは、まだ水を通していない。
中はまだ暖かい・・。逃げ場も何も無い今、この世界を記憶しておきたい。
そんなことを考えながらシュラフに潜り込んだ。大きな閃光がシュラフを通して見えた瞬間、地響
きのような音がし、光と音がほぼ同時に発生したようだった。
もう一度ゆっくり考えた。
普通は上空の雷雲から地上に向けて落ちるんだ、今はその中にいる。
落ちるんだったら鉄柱もあるし、この鉄屋根も・・
全部が地面にアースされている・・・だろう・・だから落ちない。
都合のいい解釈だとしてもさっきの音以外、何も変化は無い大丈夫だろうこのままでも、後は雨対策
で少しでも濡れを防ごう。
さっきとは反対の逆芋虫で出来るだけ雨を避けられる位置に移動した。
シュラフの中に頭を隠し込んだ形でジッとしていた。
この頃から空腹によるひもじさが顔を出してきた。
胸のポケットに入れてあったあめ玉も、昼間の暑さで包みが取れない状態になっている。
そのまま口に入れてから、包みを取ると言うなかなか面白いゲームに夢中になっていた。
少しずつ甘さが拡がって、何となく落ち着いてきた。
何度かシュラフ越しの閃光を眺めながら・・いつしか記憶が遠のいて行った。
かなりの時間なのか、あっと言う間の出来事なのか・・・小鳥の声で目が覚めた。
シュラフから顔を出し、辺りを見回した。
何も変わったことの無い、そして雨の降った気配も無かった。しかし、シュラフも衣服も濡れている。
シュラフから抜け出してベンチの下の時計を拾った。
手のひらには、水滴混じりのナイロン袋と通して丁度6時30分を指した針が見えた。
今日も暑い日になりそうだ・・・。
まだ山には誰も登ってきていない。
急いで着ているものを脱いだ。
日の光を浴びながらとても気持ちの良い時間だった。
ザックの中の下着は濡れずに済んだが、ニッカ(山ズボン=ニッカホース)は濡れている。
後1時間は大丈夫だろう。日向にニッカを置いてパンツ1枚の日光浴だ・・。
後は大急ぎで濡れたシュラフの乾燥作業に励むことになった。
結構雨水を含んでいるが何とかなるだろう。
ザックからタバコを取り出し、火を着けた。
静かに空に吹きかけて・・・昨夜の雲は何処へ消えたんだろう。
夢じゃ無いけど説明が出来ない・・・・。
始発運転のロープウェイで喫茶店のマスターが上がってきた。
『おはようございます。昨夜はすごく荒れましたね。』
『おはよう、そうですか、奇麗な星空でしたよ、山には黒い雲が掛かっていましたが』
『そうですか、こちらはこんな状態です。』
『それは大変でしたね。今から準備しますが、一緒にコーヒーでもどうですか』
『はい、いただきます。』
半乾きのニッカを履いて昨日の場所に腰を降ろした。
『そろそろ観光客が登って来ましたね。僕はこのまま下ります。』
『この山旅はどうでしたか』
『貴重な体験をいっぱいしました。じゃ、行きます。ごちそうさま。』
喫茶店を後に、シュラフを丸めてザックに押し込み、下りロープウェイに乗り込んだ。そして昨日
登ってきた道を眺めながら、頂上を振り返った。
下界に降り立ち、タバコに火を着けた。大きく吸い込んでからもう一度頂上を見た。
昨日の朝と同じだ、何も変わっていない。
頂上に向かって煙を吹きかけてみた。
しかし黒い雲にはならなかった。

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