

|
『山での奇妙な出来事』 |
|
1998.08.06 処女作品
|
はじめに
この奇妙なお話をする前に、山の所在とこの地の特色について少しお話しましょう。
奈良県の南部には大峰山脈と言う、大変に深い山があります。
大峰山脈とは、近畿の最高峰である八経ヶ岳(1915m)を頂点に、1200m以上の山々が
50座も名を連ねる雄大な山脈で、その中でも特に名高いのは、その昔、頼朝に追わ
れた義経が北国落ちする際に山伏姿に身を窶し、愛しい静御前と行く手を分けたと
いう山で、桜の名所でも名高い吉野山から南は熊野大社まで達します。
この大峰山脈全体が山岳宗教のメッカで、昔は山岳宗教の山で女性の入山を禁じて
いたところが多く在りましたが、現在では大峰山だけが山伏修行の地となって未だ
女人禁制を頑なに守っております。
|
山頂へ向かう幾つかの登山道には決壊(仏教
用語)門と言う大きな門があり、女性を厳しく
規制しているのもこの山の特徴と言えるでしょう。
多くの伝承や史実からこの大峰山は650年、
役行者(えんのぎょうじゃ)が開山した山と
伝えられおり我が国登山発祥の地とも言わ
れているそうです。
|
 |
関西方面では「男なら一度は大峰山へ登って修行をしてこい」などと、子供の頃よく
父親から言われたものです。
また、今でこそ少なくなりましたが昭和の終わり頃まで、小学校高学年から中学1年
に掛けて夏休みの林間学校では、男子生徒のみ大峰登山と言う光景を目にしたものです。
そうそう、男女共学だから女子生徒もいましたね。その女子は大峰山の西側に稲村ヶ
岳と称する、少しだけ大峰山より高い山へ登ることとなります。
行程はどちらもゆっくりしと登って約3時間程度で頂上に到着し、大峰山頂上付近に
は宿坊が5軒、また稲村ヶ岳には山小屋一軒と、その近くには避難小屋があります。
それは1982年の出来事です。
親父が亡くなった年の10月も終わりを告げようとしている頃、その時期の山上ヶ岳
は既に閉山となり、決壊の門も堅く閉ざされていました。
夏の人混みが嘘のように、ひっそりと静まり返り、真っ赤な秋茜(アキアカネ)の群
が低く宙を回っていました。
生前、親父がよく行っていた山でもあり、幼い頃より耳にした場所、そこへ親父の骨
を埋めてやりたくて、ただ一人向かっていました。
私にとってこの山は信仰の対象ではなく、ピークを踏むだけの対象でしかなく、登り
三時間足らずで、険しさもなくただ単調な登りに飽きながら足を進めておりました。
細い登山道の両側に並ぶ茶店は、板戸を堅く閉め不気味なくらい静かで、こんな箇所
が頂上までに数カ所あります。
そんなところを足早で通り過ぎ、頂上まで二十分を残すぐらいに差し掛かったとき、
にわかに辺り一面が深いガスに包まれてきました。
白いガスの向こうにはお寺の宿坊らしき大屋根が見え隠れしていて、未だこの時期に
登った記憶が無い脳にはどことなく新鮮な感覚とやたら不気味に思える景色がいり混
り、ホンの少し不安が見え隠れしておりました。
|
 |
頂上付近には長年の風雪に耐えた本堂
が一つ、若い頃親父が掛けたという額を
探しだし、かろうじて名が見える程にま
で朽ちていたそれは、親父の証そのもの
にも見えたものです。
本堂脇で湯を沸かしながら簡単な昼食を
しつつ、時折白いガスと共に静寂の世界
が訪れるのを楽しみに、ひとときの空白
に酔いしれる自分を少し感じていた。
|
ガスの出始め、引き始めは被写体としてもっとも息をのむ瞬間だが、今は自分で決め
た弔いの日、網膜のフィルムに焼き付けつつザックを担ぎ足を進めることにしました。
しばらく行くと、もう数ヶ月早ければ辺り一面に高山植物の咲き乱れるであろうお花
畑にでた。
今はこれから訪れる冬仕度か、薄茶色のジュータンの帯が広がっていた。
見晴らしの良い、そして風が悪戯しない場所を選んでザックからフィルムケースと角瓶
を取り出しました。
少しだけ土を掘り、ケースに入った骨片を並べ上から褐色の液体をかけてやりました。
すると喉の渇きを潤すかのように、小さな真白い骨片に染み込んでいき、角のボトル
は次に私の口を潤すこととなりました。
考えてみれば親父との最初で最後の酒となり、時の経つのも忘れ少々思いにふける姿を
自分自身で感じながら、今頃になって悔いを引き出したことに思わず声を発してしまった。
|
徐々に雲行きも怪しくなってきたため、
今回の山行はテント無しでもあり一夜の
ねぐらを稲村ヶ岳の避難小屋に求めようと
分技道へと向かいました。
ここからは稜線づたいに稲村ヶ岳(1726m)
があり地図で1時間30分、久々に通る
コースだが1時間で充分たどり着けそうだ。
あと2時間もすれば目の前に見える雨雲が
襲ってくる。
|
 |
そう考えると山靴が急げと言っているかのように足を早める。
分技からの道は切り立った岩場の下り約10分、谷底からにわかにガスがわき出し辺り
は真っ白、風のあるうちはガスも動くので視界は確保できる。
足場を確保しながら少し緊張した時が流れた。
ほぼ半ばまできた時、突如風の音が止まった。
足下にまとわりついたガスは山靴を隠し、徐々に上へと上ってくる。
足場も探れず確保した指先がガスで塗れ出す。
まだ動けない、自分の息を吐く音までもガスが呑み込んでいく静かな世界だ・・・。
岩をつかむ指先のしびれもあり、かなりの時間石と化していたようだ。
ようやくガスも動きだし、ホッとする間もなく下りを急ぎだした。
後はたわいもない尾根道だ、振り返るとガスがまた岩場を隠している。
雨のくる前に、それだけが頭にあり急ぐ、その後約二十分で避難小屋に到着。
ここまでの尾根道は5月になると尾根筋にシャクナゲの花が咲くところで、ここにも
決壊門がある。
途中、谷へ向かって急激に下る道があるが、「シャクナゲ坂」と名が付いて、ここを
下れば約1時間半で登山口に有った決壊門に出られる。
|
 |
板戸を開けるとツーンとしたカビ臭い匂い
がしたそこは、約10畳程度の広さの板間、
雨は十分しのげる。
今日は先客無しか、ザックから先ほどの
角瓶を口へと運び一息。まだ明るい間にと、
シュラフを広げ、夕食の準備を手元に広げ
る。
なんだか急に眠くなり、板壁にもたれつつ
瞼を緩めた。
なんだか周りが騒がしくなり目を開けた、
|
『こんにちは!』
中年のおじさんが入ってきた。
『外はすごい雨ですよ。』
そう言いながらドッカと腰を下ろした。
もう外は真っ暗になっていた。
このおじさんは知らない人じゃなかった、数年前、白馬で捻挫してしょげていた長野方面の
人だ。
『あれからどうしたんですか・・・・何でこの山に・・・・』
と話は続いた。
途中、また一人女性が入ってきた。
『外の風がウソのようですね、ここは静かで落ち着けそう』
この人も以前、山陰の大山で出会った北海道の女医さんだった。
『よくこんな山へ・・・奈良で学会でも・・・確か大山でも学会でしたね。』
こんな会話の中で、何かおかしい・・・そう思いながら二人を見るとまだまだ話しかけてくる。
ハッと我に返った。
窓の外は雨が降っていたがまだ暗くはなっていない。
『夢かぁ』、
そこにはさっき広げたコッフェルとα米(湯で戻すご飯になる)があった。
時間にして10分位だろうか、さっきの夢ではテルモスの湯を注いでいたが、その形跡も無く
α米も封すら切られてない。
何であの二人が出てきたんだろう、チョット変な感じだが不気味って言う感じじゃなかった。
それよりも懐かしさと言うのかもっと話していたいと言う感じの方が強かった。
(・・・・・・・・この二人の登場が、これから起こる奇妙な出来事の前触れだと気付かないまま、
夢の続きのようにコッフェルの中へ湯を注ぎ始めた・・・・・・・・・・。)
『α米ですか?そいつは臭いがどうも・・・』
『臭いさえ我慢すればボクにはご馳走ですよ、こんな熱々が食えるんですから・・・』
いつしかおじさんとの会話が戻っていた。
窓からはまだ暗くなっていない空の一部が見えた。
やはり来てたんだ。
『彼女は?』
『貸して挙げたでしょ!先ほど三脚持って外へ・・・』
『三脚・・?』
今日のカメラはローライだけのはず、三脚は置いてきたと思ったんだが・・・・、だけど
話は進んでいる、夢じゃない現実に居るんだ。
それからどのくらい時間が経っただろうか、三人の登山者が入ってきた。
一人はケガをしているらしく負ぶさって入ってきた。
二人共山で逢っている、今度も同じだ。
この二人は白馬の縦走を終え、神奈川にいる妹の家に立ち寄ったおり、東京都に2,000m級
の(雲取山)山が有ると聞き、荷物も置かず登った時、頂上付近の避難小屋で出会った若者
だった。
だけどケガしてる方は全く知らない、話したことが有れば話の内容で何処の山だか検討が
つくが、全く話してこない。
次々にこの山小屋に集まってくるこの人達はいったいなんだろう。
その後も続々と知った顔、出会って記憶に有る顔が詰めかけてきた、小さい山小屋がドン
ドン人でごった返すようになってきた。
人いきれで蒸し暑く、ざわめきでうるさいくらいにぎやかになってきた。
こうなれば食事どころでは無い、あちこちで笑い声、
『その後どうしてます・・・・』
などと、次々話しかけてくる。ただケガした一人を除き・・・、こんな楽しい山旅は無かっ
た。
角瓶もあちこち渡り歩き、いつしか手元に空になって戻ってきた。
これでは眠ること事もできず、明日は下山だけだからまぁいいわ。
既に外は日が落ち真っ暗、雨もしきりにトタン屋根を叩く音がする。
それをかき消すような笑い声、そのうるさい中であの人物だけは静かに目閉じているように
見える。
こちらと一度も顔を合わせようとしない、見えるのは横顔のみで口は固く閉じている。
突如!「ドカァーン」地響きのような雷の音。
その音にビックリして周りを見ると、暗闇の中なんの音もしない。
聞こえるのはトタンに響く雨音だけ、「バチ、バチ、バチ・・・」それが一層激しく打って
きた。
『消えた!、みんなが消えた。あんなに騒々しく、あんなに蒸し暑かったのに』
何だか頭の芯が重い、目の奥から芯に向けてすごく重い感じがする。
目を閉じ親指で両目を静かに押した。
「これは疲れ目にしか効かないなぁ」などと思っていると、
『押しましょうか?』
と、おばさんが首筋に指を添え押してくれた。
とても気持ちよく頭の芯が「ツーン」としてきた。ふと気付くと、ざわめきはいつしか戻っ
ていた。
小屋のランプにも明かりが灯りみんなの顔も明るく照らしていた。
こうなるとどちらが夢で、どちらが現実なのか区別出来なくなってきた。
もし夢なら続きを見ることはないだろう・・・。
その後も何度と無く現実なのか夢の世界なのか解らないところに引きずり出され、いつしか
空の白んでくるのを目にした。
周りには人の気配すら無かった。
どれほどの時間浸っていたのか、コッフェルの中にはふやけきったα米が残り、角瓶は少し
残ったまま横たわっていた。
寝ていたのか、ずっと起きていたのか、頭と体はやけに重く何故か口の中はカラカラになり、
手足の先に少し痺れが残っている。
雨は早くに上がったのか、窓からはまばゆい光が差し込んでいる。
日の光じゃ無いことはすぐに解った。
痺れた手足に力を込め、ようやくの思いで立ち上がって窓から外を見た。
そのまばゆい正体はやはり霧氷だった。
雨の後のガスで出来たんだろう。
かなり冷えたに違いない。
シュラフ無しで寝たとしても、体はやけに暖かい、眠りながら無意識に飲んだのか、それと
も例の酒盛りか、いくら小屋の中と言ってもすきま風の入る避難小屋だ、考えてみれば危な
いところだったが、おかしな体験だった。
広げた荷物をザックにまとめ、やはり三脚は置いてきてたんだ。
そう思うと俺はいったい何を彼女に貸したんだろう・・・。
下山準備を整えて小屋をでた。
キラキラと日の光を受け、真っ白に輝く霧氷がとても奇麗だった。
下り2時間弱、まだ痺れの残った足を送り出しながら頬に当たる冷たい風を感じていた。
昨夜のことはいったい・・・、あれで風呂でも有ったら、まるで狐にバカされているみたいだ。
夢だとしたら不思議と言うのか奇妙と言うのか、山で出会った人、老人にしろ誰にしろもっと
いたはずだ。
そのみんなが押し掛けてきたとしたら、雨の中外にいたんだろうか?
小屋が大きければもっと楽しくなってたと思うんだが、みんなで凍死から救ってくれたのか?
そんな思いとは別に、昨日の登りに疲れは無いはず、なんで眠ったのか、それ自体が不思議
だった。
過去、何度となく山行を重ねたが、うたた寝なんかした経験は・・・そうだ、たった一度きり
あった。
だけど、あれは昼間の出来事で無数の蟻に襲われた時、あの恐怖よりも不思議なのが今回の
出来事だ。
木々の間から林道が見え隠れした地点まで下ってきた。
後もう少しでこの山とお別れだ、こんな体験、誰も信じないだろう。
『一つ山の思いでとして仕舞っておこう。』
そうつぶやきながら足が止まってしまった。
同時に背中に冷たいものが・・・、
『まさか、絶対そんなこと無い!』
目の前には小さな「お地蔵さん」があった。
下の林道を目前にして息絶えた遭難者を奉って有るものだが、あの時の一人、全く見たこと
のない人物。
まさかと思うが、他の人たちとは言葉を交わしたことがある。だけど一人だけ交わそうとも
交わせない人物がいた。
それは山を始めてから初めての体験、絶対に体験したくないものの一つ、前穂高で出会った
屍体だったかも知れない。
あの時、顔は隠されており見えなかった。
「自分はこうなりたくない」そんな気持ちで確か手を合わせていたと思う。
全ての人が訪れたとして、ただ一人言葉を交わさなかった人物だとしたらその人しかいない
だろう。その場には、目の前の「お地蔵さん」に手を合わし冥福を祈る私の姿があった。
その後もこの山に登ることがあったが、その避難小屋の扉に触れることは無かった。
また、今後も無いと思う。
あの奇妙な出来事をそのままの形でとどめて置きたいから・・・・

|

 |