『消えたムー大陸が田沢湖周辺に』
「消えたムー大陸のモアイ像と古代東北地方の関連」
1998.08.15

 南米のチリから3800kmの地点にイースター島と言う島があります。
みなさんもご存知だと思いますが、ここには巨大石像の「モアイ」が存在しますよね。
(あの首から上が地面から突き出て空を見上げている石像、アレですよ)

このイースター島に人が暮らし始めたのは推定で4世紀頃と言われ、当時「長耳族」
と「短耳族」の2部族が住んでいたそうです。
あのモアイ像は17世紀頃まで造り続けられており、モデルは長耳族らしいのです。
彼らはポリネシア系の海洋民族で、モアイ像の張り出した額は長耳族の彫り深い顔立
ちを表現したものというのが定説となってるらしい。


 長耳族の名称は、彼らが耳たぶに穴を開けて大型の耳飾りを装着していた民族風習
に由来していると言われ、この特異な風趣は縄文〜弥生時代にかけて日本各地の古代
部族にも流行ったということです。
それは何故・・なぜ??

読者の女性 → 私の耳たぶにもピアスが・・ヒョッとして長耳族を祖先に持つポリネシア系・・・

セロリ  → まぁまぁ、結論は急がないでもう少しおつき合いを!



 ちょっと日本の縄文〜弥生の話を出してしまったので、話は日本国内へワープさせますね。

秋田県・田沢湖の近くの山中に「モアイ」に似た巨大人面石像群があると以前雑誌の
記事で見かけたことがありました。

昔からこの地方では「お諸仏様」と呼ばれて、ずっと豊作祈願の信仰対象になってい
たのがこの10年ほど前にわかったらしいです。
 この山は鎌倉時代から修験道の行場になっており、青森の恐山のイタコなど、東北
地方では「仏降ろし」を仕事にする女性たちも口外無用の秘密の修行場になっていた
そうです。

田沢湖町に残る古文書には、「約1400年前に天竺から巨大な石仏群が飛来し、お諸仏
様の岩山に変じた・・・」そして、この巨大石仏の人面岩を示す下りでは「田沢鳩留
尊仏(くるそんぶつ)」と記されています。

しかし、1400年前の秋田地方は「蝦夷(エミシ)」と呼ばれた先住民族の支配下領域に
なっており、お諸仏様の岩山は仏教渡来以前から存在していた土着信仰と深い関係が
あったように思えます。
この石像の石材は火山性の岩でモアイ像(凝灰岩)よりも固く、高さ約4m推定10トン
ほどの人面岩です。
そう言えば以前人面魚とか人面なんとかと言う言葉が流行りましたよね。

さて、話は戻ります。
この火山性の岩で出来た人面岩を石器しか道具の無かった時代に作製するにはかなり
の困難があったと考えられませんか。
そして彫りの深い顔立ち、長い耳など、日本のモアイ像とも呼べるんじゃないかと少し
考えたんです。
ここから少し離れた地点に数個の大岩を「海亀」そっくりの姿に組み合わせた石造遺
物があります。

この他、秋田県内には鹿角市に有名な「大湯ストーンサークル」と高さ約280mの
黒又山(くろまんたやま)」や十和田湖東側の新郷村 旧名、戸来村(ヘライ)には
「キリストの墓」という盛り塚、遺跡じゃないがこの地域の民謡で古代ヘブライ語と
ウリふたつの音頭を持つ「ナニヤドヤラ」など・・・


これらを後で関連づけるためにもう少し遺跡を掘り出して考えてみましょう。

謎の人面岩の近くに田沢湖がありますが、この湖を舞台とした有名な「辰子伝説」が
存在しています。


 
「昔々、湖の南岸に「辰子」という美少女が住み、自分の若さが永遠に保たれるよ
うに神様に祈った。願いが叶って神様に山中の霊泉の水を飲めと教えられ、不死の願
いは実現したが、哀れ、竜に姿を変身して湖の主になったという・・・・・・・」



 田沢湖の北岸には辰子を祀った「御座石神社」があり、その背後の高鉢山(571m)の
中腹200mの場所には、辰子が美しい顔を写し見たという「鏡岩」があります。

この御座石神社本来の御神体ともいわれる「鏡石」ですが、高さ5mの巨石が急斜面
に立っており、平たい巨石の中央に正六角形で直径95cmの別の石材で出来た杭が打
ち込まれたようになっているとのことです。

巨石本体は角レキ凝灰岩、はめ込まれた岩は安山岩質の溶岩でこの付近の地質は安山
岩から形成されている。
なぜこの高い位置に場違いな角レキ凝灰岩の巨石が腰を据えているのか。
どこかから運ばれたとしたら途方もない労働力が投入されたはずだとも考えられる。
正六角形の表面は風化こそしているが真っ平らで、当時としては磨き上げられた表面
に眼下の田沢湖を当時は写していたに違いない。

それと、この六角形は秋田地方の謎めいた古代史とつながりを持たせることができる。
仮説も含めたて、先ほどのキリストの墓、古代ヘブライ語に似た民謡との関わり合い
なんです。

 紀元前に滅亡した「ソロモン王国」から大量のユダヤ人難民が世界各地へ散ったこ
とは史実ですが、一部が日本へも渡来したんじゃないだろうか。
この仮説からスタートすると、この民族の言語がヘブライ語であり、王国を象徴する
紋章が六角形の輪郭を持つまさしく「ダビデの星」だ。
そしてもう一つの六角形の意味するものは、辰子を主人公とした現在の物語が成立し
たのは明治以降で、それ以前の伝説の美少女の名は「亀鶴子」で、この変化は田沢湖
地方に古くから伝わってきた「龍神信仰」が反映していると言われている。
亀、この動物を象徴する甲羅模様も六角形だし、鶴と亀は古代ソロモン王国では聖獣
と見なされていたらしい。
もう少し言えば、イースター島を含めた環太平洋の島々に住む海洋民族の多くも海亀
を海の神の使者として崇拝してきたそうです。

そうなると先ほどの海亀の姿をした石造遺物も、内陸部にある田沢地方では通常なら
海亀は無縁のはず。
だけど古代田沢地方では重要な信仰対象だったのだろう。
イースター島のモアイ像に似た人面岩、失われたソロモン王国の紋章。
かくて東北地方に栄えた巨石文明のルーツはこうして無理矢理つなげることができた。

・・・・・・・・・・・・・

やはり物書きには向かないです。資料を集めての机上の推論にも限度があり、まとめ
るにもかなりの労力を必要すことが・・・ハハハ・・改めてわかりました。


やはり無理があるだろうか・・・・。



数年前、青森の縄文土器と同じ種の土器がムー大陸の一部の海底遺跡から見つかった
との記事を見ました。
それと同時に倭国の海底遺跡にも同じ巨石文化が発見せれて、古代日本との結びつき
が裏付けされようとしています。


古代日本、それも北の東北と赤道直下の国々・・一体どんな交流があったんだろうか。

みなさん疑問に思いませんか?

そう思われた方は是非田沢湖へ・・・・

それにしても東北地方には不思議な物が沢山ありますよ。


資料参考:

・田沢湖町 郷土史研究家     草薙 氏

・田沢湖町 文化財保護審議会委員 佐藤 氏

・                有賀 氏

二戸(にのへ)市観光情報