桃太郎伝説

 日本各地にはいろんなむかし話があるけれど、殆どが言い伝えで占められてます。 
でも、古来の文献などの史実に沿っているものが中には存在していたのでした。
 
多分、殆どの日本人が知っていると思われる「桃太郎」は話としては有名だけど、全くの作り
話だと僕も思っていました。
2年ほど前、偶然にも小さな記述に目を向けたのが切っ掛けで少し調べることとなりました。
その小さな記述とは・・・・


むかしむかしのこと。

吉備の国に、温羅(うら)と言う恐ろしい鬼が住んでおつたそうな。
西国から都へ通う船を襲っては人を殺め、財宝を奪うなど、数々の悪事をはたらいては人々を苦しめておったと。


大和の朝廷ではこれをいたく憂い、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)(のちの吉備津彦命・・・田原本町
黒田いおとの宮・第七代孝霊天皇の皇子。)に吉備の国に鬼退治に行くようにお命じになつたと。
 

彦五十狭芹彦命は弟の若日子建命(わかひこたけるのみこと)と、お伴の犬養部(いぬかい べ)・猿養部(さるかい べ)・
鳥養部(とりかい べ)を連れ、難波の港より船出したんじや。


船は途中、瀬戸内海路で針間(播磨)に立ち寄り、吉備の国、妹尾明神呼についた。

そこで皆は佐多八という漁師に迎えられ、トウキビで作ったダンゴを食べて英気を養ったそうじや。
そして吉備の山中に陣をかまえ、やがて佐多八の道案内で鬼退治に出かけたそうな。


それはそれは激しい戦いの末、ついに鬼たちは降参した。
人々はたいそう喜び、その功を讃え、彦五十狭芹彦命を吉備津神社の祭神として祀ることにしたんじやとさ。

温羅一族とは・・・

 異国から渡来した海賊で、早くから砂鉄や鉄鉱石を発見し、製鉄技術を導入して鬼ケ島に鉄文化を築いたと言わ
れていたんです。
鬼に見えたのも溶鉱炉の前で働く人々の姿は砂鉄に染まり茶髪、皮膚は溶鉄に映えて赤く、危険を伴う労働の荒々
しさや真剣な眼差しなど、その姿は異様で、だから鬼に見えたのかしれませんね。
 
それと、「本朝神社考」には、「むかし大和の洪水の折り、初瀬川大いに漲り、大きな瓶が流れ来たり、後にまた
小舟に乗って播磨に着し、大荒明神となったと言う社伝があります。
「桃太郎」噺の水辺から発見される小さな子と同様、日本古来の水神小量の信仰に通じるものなんです。

 日本全国に桃太郎の伝説地はいくつかありますが、主な伝説の地である岡山県や香川県高松は吉備津彦命兄弟に
関するものです。

 各地で伝説の残る英雄吉備津彦命ですが、吉備津彦命の父君である孝霊天皇の宮があった田原本町が、桃太郎の
誕生の地・ふるさとと言われているんだよ。

 吉備の国は、弥生時代末期から古墳時代の五、六世紀にかけ、大和や九州と並ぶ強大な勢力が生まれ、国家統一
へとつながる日本古代の展開に大きな役割を果たしてきたといわれ「桃太郎伝説」も、そんな土壌のなかから生ま
れてきた言ってもいいでしょう。

写真クリックすると読めるよ

まぁ、調べてみて気が付いたんですが、
「桃太郎」以外にも水辺・小さな子と組合わ
さったものでは、お椀の舟に乗って鬼を退治
する「一寸法師」もありましたね。
これらも水神小量の信仰に通じるものの一つ
なんでしょう。
 
どうでしょうか・・・・。
これはセロリの創作じゃないから、誰にでも
自信持って話してくれていいよ。
 
それじゃ・・・・・また、

  

「桃太郎誕生」伝説発祥の地、法楽寺
写真をクリックしてみて・・

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